長屋の玄さん達のメッセージ

キャンドルナイトの着火が始まると同時に
お話しさせていただいた内容。
録音しそびれてしまったので、記憶を振り返りながら…
ノリやアドリブでしゃべった部分は、多少簡略化しながら…

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みなさんこんばんは♪
高尾山のそば、相模湖のそば、
藤野という町から来ました小山玄と申します。
どうぞよろしくお願いします!

小山みかえです♪ よろしくお願いします!

藤野で、4家族で共同生活する長屋を建設中です。
ですので、「長屋の玄」と、自己紹介しています。

隣が、小山家の家内、神様、うちのかみさん、
大天使ミカエルの名前をお預かりしている、みかえです。
今日灯される、原爆の残り火にはとても深い想いが引き継がれています。

キャンドルナイトの日を灯す間、20分くらいお話しさせてください。

みかえから、15分くらいお話しさせていただきます。
そのあと、ぼくにバトンタッチして、また少しお話しさせていただきます。

(マイクをみかえへ)

こんばんは、小山宮佳江と申します。
地元では、石油エネルギーに依存しない暮らしに、
移行するための活動をしたり、
「里山長屋暮らし」という4軒長屋をつくり、
自然環境を利用した循環型の農的な暮らし、
エネルギーをなるべく使わないためにカーシェアリングや
共有スペースをみんなで使う暮らしをするために、
今は家づくりをしています。

吉田ケンゴさんから、ご縁をいただいて、
みなさんといっしょにこの日、
この場で時間をすごすことができてとてもありがたく思っています。
しずかな時間、美しい灯りに心を合わせながら、
少しの間お時間をいただければありがたいです。
先日、8月6日に地元の藤野で「ひかり祭り」というお祭りがありました。
そこで「GATE」という映画を上映させていただきました。
夜の野外上映ということで平和の火でキャンドルナイトをすることになり、
スタッフが竹で500個のキャンドルホルダーを作ってくれて、
平和の火を灯すことができました。

その平和の火は、
ピースキャンドルナイトのイベントをしていらっしゃる、
ユナイテッド・アースさんからいただきました。
福岡県八女市(やめし)にある旧星野村で、
山本拓道さんから平和の火をいただいたときの
お話をしてくださいました。

お父様の山本達雄さんが、
どんな想いでこの火を守ってきたのかを聞き、鳥肌がたちました。
この火はただの火ではない。
相当な年月と、数え切れないくらいのたくさんの方がかかわり、
さまざまな強い想いを内包している火だと、改めて感じました。

「GATE」はこの火を世界で初めて核実験が行われた
ニューメキシコ州のトリニティサイトに戻し、
負の連鎖を絶ち永遠に眠らせる、
そのための祈りの行脚の旅を撮り続けたドキュメンタリー映画です。
9月20日にもまた、藤野で上映します。

ご存じの方も多いかと思いますが、
私たちの手元に今あるこの平和の火が、
どんな火なのかをお話しさせてください。


この火は65年前の8月6日、
広島に落とされた原子爆弾の残り火です。

福岡県星野村の山本達雄さんは、
兵隊の召集を受けて広島から130kmはなれた
駐屯地に配属されていました。
65年前の8月6日の朝。
本部の広島に向かっていたそうです。

8時15分。
その電車の中で、光に包まれました。原爆投下でした。
達雄さんは電車を飛び出し、
広島市内の書店を営んでいた叔父さんを探しに行きました。
しかし、広島で見たものは、激しく燃える広島の町。
男女の区別もつかないほどに焼けただれ、
逃げまどう人々、そこここに転がる死体。
断末魔とうめき声。地獄絵図を目の当たりにしました。
翌日からの達雄さんの部隊の任務は、
焼け死んだ人々を葬ることでした。

1ヶ月経って復員命令が出て、星野村に帰ることになったときに、
せめて叔父さんの形見になるようなものはないかと探しに行きました。
そこで、くすぶっていた火を見つけました。

出征する際、祖母が孫の身を案じて持たせてくれたカイロを思い出し、火を移して持ち帰りました。
持ち帰ってから、かまどやいろり、あらゆるところに火を移し、
誰にも言わず、家でその火を絶やすことなく
ずっと守ってこられたそうです。

その火を見ながら、広島での黒こげの死体、ずるむけの死体、
おびただしい死体、死に行く人々を思い出し、
なぜ戦争が起きたのか、なんのために人がこんなに死んで、
叔父さんが死んで、広島の人たちがあんなに苦しい目に
合わなくてはならなかったのかを思いつづけたそうです。
月日が経つにつれ、叔父さんの供養のための火は、
どうしようもない”恨みの火“”のろいの火“となっていったのです。

23年間、誰にも知られずに守られていた火は、
ある取材をきっかけに、公に知られることになります。
それからは、この火は「平和の火」として、
平和を祈る火として広まってゆくことになりました。

達雄さんにとっては、この火は大勢の人の命を奪った、
復讐、恨みの火でもありました。
「平和の火」とひと言で表現されても納得できない、
みんな何もわかってくれないと苦悩する日々を過ごしていたそうです。

達雄さんは80歳になってから、
子どもたちにこの火のことを話し始めたそうです。
「この地球の中で、殺し合いをするのは人間だけ。
人間同士が殺し合うようなことは、もうやめにゃいかん。
頼みはあんた達。戦争はせん、と約束してくれ。」
と。

達雄さん自身も原爆の後遺症と戦いながら、
2004年にお亡くなりになりました。
その後は息子の拓道さんが意を受け継いでいらっしゃいます。

遺品を整理した中に、
達雄さんが収集していた戦争や核兵器に関する新聞の切り抜きや、平和の火を守っていた達雄さん宛のたくさんの手紙を
見つけたそうです。

これらを見ながら、
殺された悲しみ、怒りは消えないけれど、
解決するためには同じ思いを繰り返しちゃいけない。
これが火の心だ。
と思い始めたようでした。

星野村に行き、達雄さんの息子、山本拓道さんから火を受け取り、
私たちに分けてくださった吉田さんは、
広島市内出身の学生さんでした。
ずっと知っていた平和の火は、
平和を願う火、平和を祈る火だと思っていたそうです。
山本達雄さんが抱えていた「恨み、憎しみの火」でもあったことを
はじめて知ったそうです。
恥ずかしながら、私もそうでした。

復讐することでは、同じ苦しみを持つ人が増えるだけ。
ほんとに戦争が無くなるためには、みんなが戦争をしないこと。
みんなで平和になるためにはどうすればいいのだろう。
みなさんの和が繋がり、
たくさんの縁に恵まれて、
今日この日に、みなさまとごいっしょに
火を灯すことができて幸せです。

最後に、最近いろいろと調べたり、
考えている中で出逢った詩を読ませてください。

「あなたに」 谷川俊太郎

あなたに
燃えさかる火のイメージを贈る
火は太陽に生まれ
原始の暗闇を照らし
火は長い冬を暖め
祭の夏に燃え
火はあらゆる国々で城を焼き
聖者と泥棒を火あぶりにし
火は平和へのたいまつとなり
戦いへののろしとなり
火は罪をきよめ
罪そのものとなり
火は恐怖であり
希望であり
火は燃えさかり
火は輝く
─あなたに
そのような火のイメージを贈る

あなたに
流れやまぬ水のイメージを贈る
水は葉末の一粒の露に生まれ
きらりと太陽をとらえ
水は死にかけた けものののどをうるおし
魚の卵を抱き
水はせせらぎの歌を歌い
たゆまずに岩をけずり
水は子どもの笹舟を浮かべ
次の瞬間その子を溺れさせ
水は水車をまわしタービンをまわし
あらゆる汚れたものを呑み空を映し
水はみなぎりあふれ
水は岸を破り家々を押し流し
水はのろいであり
めぐみであり
水は流れ
水は深く地に滲みとおる
─あなたに
そのような水のイメージを贈る

あなたに
生きつづける人間のイメージを贈る
人間は宇宙の虚無のただなかに生まれ
限りない謎にとりまかれ
人間は岩に自らの姿を刻み
遠い地平に憧れ
人間は互いに傷つけあい殺しあい
泣きながら美しいものを求め
人間はどんな小さなことにも驚き
すぐに退屈し
人間はつつましい絵を画き
雷のように歌い叫び
人間は一瞬であり
永遠であり
人間は生き
人間は心の奥底で愛しつづける
──あなたに
そのような人間のイメージを贈る
あなたに
火と水と人間の
矛盾にみちた未来のイメージを贈る
あなたに答えは贈らない
あなたに ひとつの問いかけを贈る

(みかえ了)

(げん)

谷川さんの詩について、お一人一人感じることがあることと思います。
ぼくが、いま、この場で、詩を聴いて感じた問い。
「ぼくたちは、ぼくたちが生きている間に、平和を実現することができますか???」

ぼくには、以前から降ってきています。

できる!

そう感じています。

ぼくたちはまだ、戦争のない日を一日も実現できていない。
でも、あきらめない!
BE?INのようなイベントがどんどん増えています。
世の中の変化が、ものすごく加速しています。
ぼくたちは、歴史を変えられる!
ものすごく近い将来、平和は実現できる!!!

こういうイベント、想い、活動の点と点がつながり合って、面になり、
どんどん広がりつつあります。

アメリカ一国の世界支配がなくなるにつれて、
アメリカの経済破綻とともに、
既得権益を得ている権力者の権限がなくなります。

戦争を体験していないから語れない。
そう思い込んでいました。
ぼくは拓道さんから直接お話をお聴きしたこともありません。
だから、話せないと思っていました。
でも、変わりました。

この原爆の残り火をお預かりすることを決意した瞬間に変わりました。
火を持続させるのは、なかなか簡単なことではありません^^;
ただ、愚か者のぼくにとって、この火が常に身近にあることが
ぼくを支えてくれる、平和の意味を思い出させてくれる。

戦争を体験していなくても、
体験した人から聴かされた、
あるいはまた聴きで聴かされたからには、
それを伝えていく責任とお役割がある。

原爆を世界で唯一被爆した日本人には、
その体験を伝えていくお役割がある。責任がある。
ずっと、そう感じ続けていました。

今日の話を聴いて、ご存じのお話も多かったことと思います。
思い出したこと、あるいは初めて聴いたことを、
今度は、だれかに伝えるなり、ブログに書くなりしてほしい。

今日のBe-Inのちらしにもあります。
想像しよう♪
想像はイマジン。
そして、想像は、創造=クリエイション♪
ぼくたちは平和な世の中を創造できる!
いままで、一日も戦争のない日がなかったからと言って、
あきらめなくていい!
ぼくたちは、ぼくたちが生きている間に、平和を実現できる!
ぼくはそう信じています、

(長屋の玄)


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